دانلود کتاب リヒアルト・ワーグナーの「モティーフ」と、ドラマにおけるその用法について:音楽を手段としたドラマ表現とは何か (Richard Wagners Motive und ihre Verwendung im Drama: Zum Ausdruck des Dramas mittels der Musik)
by 小宮山晶子 (Shoko Komiyama)
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عنوان فارسی: درباره «موتیف» ریچارد واگنر و کاربرد آن در نمایش: بیان نمایشی با استفاده از موسیقی چیست؟ |
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جزییات کتاب
《ニーベルングの指環》(以下《指環》)の創作に先立ち,その理念上の計画書として作成された論文『オペラとドラマ』(1851)において,ワーグナーは当時の「オペラ」の形式を批判し,ドラマが音楽表現のための手段に堕してはならず,ドラマとは表現されるべき目的であって,その手段が音楽であると述べた。そしてその具体的な手法として「モティーフの強化」,「オーケストラの言語能力」,「統一的な芸術形式」といった技法を提唱している。
一方で彼の代表的な技法として後世に位置づけられたのは「ライトモティーフ」法と呼ばれる音楽モティーフ法で あり,ハンス・フォン・ヴォルツォーゲンによって定められた音楽モティーフの呼称に基づいてドラマが解釈される 現象が定着した。しかしそれに対しワーグナーは 1879 年の論文「音楽のドラマへの応用について」の中で,「ライト モティーフ」それ自体を否定し,「いわゆるライトモティーフ」とは異なる,彼の「ドラマに応用される新しい楽曲の 形式」に着目してドラマを理解するよう求めている。それはどのような形式だったのだろうか。
本論文ではこの「新しい楽曲の形式」が,上述の「オーケストラの言語能力」を前提とした「モティーフの強化」,ならびに「統一的な芸術形式」を指すと考え,作品における実例を挙げてその内実を明らかにする。それは次のようなものである。
1.「モティーフの強化」
《トリスタンとイゾルデ》(以下《トリスタン》)第 1 幕にみられる「侍女による薬の交換」は,従来解釈されたような 「偶然の出来事」ではなく,イゾルデの分裂した感情要因が現前化された出来事である。そこではトリスタンに対す るイゾルデの殺意と恋情,また愛のためにトリスタンを殺せない彼女の内面の相克,といった物語上のモティーフが 音楽モティーフに置き換えられて克明に表されており,これらの音楽モティーフをとおしてイゾルデの深層の感情を 無意識に感知した侍女が,トリスタンを殺す薬でなく,彼と愛し合う薬をイゾルデに手渡したと解される。
また第 3 幕冒頭の,シャルマイによる旋律モティーフ「古い調べ」が指し示す内容は,ワーグナーが原典としたゴッ トフリート・フォン・シュトラースブルクの叙事詩《トリスタン》における,トリスタンの父母の悲恋のエピソードで ある。この旋律モティーフを出生時の記憶に刻まれたトリスタンは,父の運命を踏襲し,父の再生としてイゾルデと の悲恋に生きた。この構想は,インド仏教思想に感化されたワーグナーが,「輪廻転生」の概念を音楽モティーフを用 いて再現したものであり,父の生を表す「古い調べ」が木製トランペットによる「別の調べ」と交替し,さらにイゾル デの終結モノローグにおける「この調べ」に移行することによって,トリスタンが父の再生としての生を終えて彼自 身の生を獲得し,イゾルデとの共死と再生に導かれる劇進行が表現されている。このように,ドラマの筋の主要モテ ィーフを音楽モティーフに置き換え,それをオーケストラによって表明し(=オーケストラの言語能力),さらにそれ らを複数連携させて,モティーフの指し示す意味を重層化し複合化してドラマを構成する手法が,ワーグナーの「モ ティーフの強化」である。
2.「統一的な芸術形式」
一方,「統一的な芸術形式」が顕著に認められるのは《指環》四部作である。《ラインの黄金》冒頭部に頻出する,Es-Dur 主和音による前奏の主題モティーフ群や,第 1 場のラインの娘たちの歌の旋律は,「自然」の音楽的表象であり, これらを変形させた一連の同系統のモティーフ群もまた,「自然」概念の延長上で捉えられる。ただしこの「自然」と は,通常の意味における「自然」ではなく,このドラマの主題,すなわち「原初自然の世界」と「そこに守護されたラ インの黄金」を指している。したがって,アルベリヒによる黄金強奪後の「ニーベルハイム場面」,「エルダ場面」,ま た《神々の黄昏》の「ハーゲンの見張りの歌」では,逆にこれらのモティーフ群が,アルベリヒ,ヴォータン,ハーゲ ンらの指環(黄金)所有欲に対しはげしい抵抗を表明して,短調や不協和音等の異常な形態で出現する。
なお,この関連においてもっとも注目される音楽モティーフは,森の鳥を表すモティーフである。《ジークフリート》 第 2 幕に登場する森の鳥は,の変容モティーフを口ずさんでジークフリートに接近し,大蛇 からの指環奪取を促す。というのも,この鳥の役割は,「黄金をラインにとり戻し,原初自然世界を再建すること」で あって,そのためラインの娘の歌(黄金が原初自然のラインにあることを表す)の旋律が,鳥を表すモティーフとして も応用されるのである。この鳥は,ラインの河底から強奪された黄金をラインの娘たちに取り返してやる役割を負っ た,炎の神ローゲの化身であるとも考えられる。
《指環》においても,《トリスタン》と同様に「モティーフの強化」の技法が認められる。だが《指環》ではさらに,強化された主題モティーフ群が,音楽形態と,それが指し示す意味内容との両面で統一され,そのことによって作品全体を文学,音楽の両面で統一する,より高度な技法に発展させられている。
以上から理解されるように,ワーグナーの「音楽を手段としたドラマ表現」の技法とは,まず文学上のモティーフを音楽モティーフに置き換え,それを再度文学モティーフに還元する作業をくり返し,結果として複合化され緊密化されたモティーフ群をさらに統一することによって,ドラマ全体を文学,音楽の両面で統一的に構成する技法であり,そこでは文学モティーフと音楽モティーフとが双方向性,互換性をもっている。このようなモティーフ技法に基づいた音楽の形式を,ワーグナーは「ドラマに応用される新しい楽曲の形式」と記したのであり,それは,音楽モティーフの出現と劇場面とを一致させてモティーフを命名したヴォルツォーゲンの単純なモティーフ解釈とは,およそ異質のものだったのである。
《指環》の創作は台本,音楽ともに難航をきわめ,長期の中断も行われた。そのいずれにおいても,難航の原因は当時のワーグナーの「モティーフの強化」技術の未塾性にあったと考えられる。《ジークフリート》作曲に不能をきたしたワーグナーは《トリスタン》の創作に転向し,そこで「モティーフの強化」の技術を習得することによって《指環》作曲継続を可能とした。また,元来英雄喜劇として構想した《ジークフリート》を,後続の悲劇に連結させ四部作を完成させるためには,悲劇を補完するサテュロス劇として過去に起草した《マイスタージンガー》を作品化することをとおして笑劇の書法を習得し,悲劇と笑劇を共存させる新たな楽曲形式を生み出そうと試みたのである。